祝う、ということ
学生の頃から私は、友人の誕生日などを一生懸命祝ってきたのですが、
見返りが欲しくてやっているわけじゃない!と思っていたのですが本当は違って、一生懸命お祝いしたんだから、もちろん私のことも一生懸命お祝いしてよね!という気持ちがあったのかもしれません。だって自分の誕生日をスルーされたら、たいそう腹を立てていましたから。
うちの祖母はことあるごとに「お返しをしなきゃ」と、お返しの強迫観念に駆られている人でした。(今も引き続きそうですが)たとえば入院してお見舞いを頂けば、まだ退院する前からお返しを用意しなければ…!と騒ぐ始末。まだ退院していないのにお返しが来たら相手もびっくりしちゃうでしょ、とたしなめても全然聞かない。祖母曰く「借りたお金を返していないような気持になる」んだそうです。その影響から私の母もお返しには大変しっかりとした人だったので、私もそうなった…と思いたいのですが私の場合は「お返しが無いこと」に厳しいという人間的に残念なパターンで受け継いでしまいました。
そんな自分が残念です。事実は変わりませんが、もう気持ちを切り替えたのでこれからについては大丈夫です。
ちょうど先週、友人の子供が2歳になったのでお祝いを渡しました。
今週は、会ったことのない人が長年勤めた会社を退職するというので、お餞別に素敵なプレゼントを見つけたので贈りました。
会ったことのない人は、もちろん今後会うこともないのでお返しももらいませんし、2歳の子供からお返しを貰う事はなく、今回は本当にその人に贈りたいと思うプレゼントを見つけて贈ることが出来たということになります。これが普通なんですが、私は私に大満足です。