夫婦、身長差25せんち。

今日も明日も横浜で頑張っています

お給料は我慢料なんかじゃない

「お給料は我慢料なんだ」と自分に言い聞かせて仕事を頑張っているつもりでいたけれど、今は必ずしもそうじゃないんだと思うようになりました。

 
雇われ人の場合は、自分の業務に責任感を持って取り組み、期待通りの成果を出すように努力する、その成果が期待を上回れば尚良いし、出来れば業務がより潤滑に進むよう改善案を考えて実行したり、企業の利益が増幅するような企画や製品を提案したり開発して貢献する。
 
社員は会社から我慢をしたり苦しむことが求められているわけではなくて、むしろ快適な環境で働くことでより良いパフォーマンスをすることのほうが企業にとってはメリットである、という当たり前のことがやっとわかりました。
 
私が以前勤めていた会社では、どちらかというと我慢をしたり苦しみながらも頑張ることが美徳とされているような風習があって、例えばインフルエンザで1週間休んでしまったとしたら、他の人に迷惑をかけてしまい申し訳ないという反省も含めて、インフルエンザから復帰して以降の通常の休みは返上して連勤で働く…などが求められており、皆言われたとおりに実践していました。病み上がりの人がわざわざ自分の休みを返上して連勤するだなんて、今では意味不明なことだとわかるけれど、当時は我慢しないといけないのかなと思っていました。
 
入社当時の会社説明会では「弊社では少しでも余剰金があれば、お客様の為に還元できるようにしているので、社員スペースなどにはお金をかけないようにしています!」と採用担当の人が誇らしそうに言っていて、まるでわが社はお客様第一の良い会社なのである、ということの一例としてその説明がなされていたけれど、裏を返せば社員のことは考えていませんと言っているようなものなのに、それでも入社したいという人がたくさん集まるのだから、日本はなんて奉仕精神にあふれた人が多い国なんだろうかと思います。もちろん私も当時は、その奉仕精神に充ち溢れた人の内の一人でした。
 
私の場合は、仕事をしていく内に辛いな逃げ出したいな、と思うことが増える一方で、私はやりがいのある仕事に就いているんだ!という自信があって、その自信が私を支えていたように思います。
 
確かに仕事自体はやりがいもあり、業務経験によって自身の成長をという実感出来たし、達成感のある仕事も多かったけれど、それらは業務中に浴びせられる暴言を我慢したり、休みが与えられない等の劣悪な勤務環境を耐え忍ぶことで得られるものではなかったはずなのに、苦しいとか我慢しなくては…という気持ちが常にある一方で達成感ややりがいを感じて働いているので、つい間違ってこの今の苦しさの上に達成感があるのだと錯覚してしまっていたのかもしれない。
 
 
こんな辛いことがありました、こんな理不尽な思いをしましたと言いだせばきりがないので、次に勤める時には「お給料は我慢料」ではない社員に優しい企業に勤めたいと思うけれど、そんな会社がこの世にあるのかなァと思っていたら本当にあったのでびっくりです。
 
最近お手伝いをしていた会社がまさにその超優しい会社でした、感動!
だって、椅子が壊れたら新しい椅子が使えるし、寒かったり暑かったりしたらエアコンを使っていいんですよ!お昼休みは堂々と取って良いので隠れておにぎりを5秒で食べたりしなくて良くて、分からないことがあった時は「俺を見て自分で学べ」とか言わないでちゃんと教えてくれるし、退勤後に「いますぐ会社に戻れ」とかいう電話もかかってこない、もちろん働いた時間ぴっちりお給料を払ってくれます。
 
しかも私がお手伝いに来ているから優しいのではなくて、社員みんなに優しい会社なので、「お前はハゲだから仕事が取れないんだ!」と怒られている営業マンもいなくて、残業したことを隠すための隠ぺい作業をしている人もいない、仕事が終わらなくて一週間も会社に泊まり込んでいる人もいないし、仕事でミスしても「おめーぶっ殺すぞ!!」とか言われたり、上司から蹴り飛ばされている人もいないんですよ。
 
 

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残念ながらこの会社でのお手伝いは期間限定で終わってしまったんですが「こんな優しい会社があったんですね」と目を輝かせていたら「そんなの普通だよ」と言われたので、次働くときは普通の会社で働くのが目標です。