夫婦、身長差25せんち。

今日も明日も横浜で頑張っています

ハラスメントと愛想笑いの狭間で

男性が「うちの妻のこんなところが素敵」という記事をアップすると「愛妻家」という評価になるのに対して、女性が自分の夫を誉めるような記事を書くと「自慢」や「尻に敷いている」というような評価を受けることが多いような気がするのだけれど、何故だろう、不思議。

 

批判を恐れずに言えば、私の夫は優しくて真面目で自立していて、誰にでもフラットに接することの出来るとても良い人だと思います。そのお陰で、家庭内で私はいつもリラックスした自然体で過ごすことが出来ています。

 

 

ただ残念ながら会社で、我が家の夫婦関係はなかなか理解されず、会社の飲み会に参加するとほぼ必ず「今日、旦那さんはどうしているの?」や「旦那さんのゴハンは平気なの?」と聞かれるのです。

どうしているのかと聞かれても、私の夫は30歳を過ぎた大人として自立しているので、別に私がいないからと言ってどうもしません。

普段夫が飲み会の時に私がそうであるように、彼も私が居なければ冷蔵庫の食材を見てなにかを作るか、足りなければスーパーで買い出しをしてゴハンを食べているだけのことなのに(夫はあまりひとりで夕飯を外食する習慣が無い)、何故毎回私が家を空けるたびに「旦那の食事」について質問を受けなければならないのだろうか。いつかお返しに、「そう言うあなたの奥様は、今日夕飯どうしているのですか?」と聞き返してみたいと思っているけれど、なかなか実現できずにいる。

 

昨晩も、仕事終わりに飲み会があった為、私の帰宅は23時頃になったのですが、その飲み会の最中に「旦那さんが待っているから早く帰ったら?」と何度か言われました。

それなら、あなたも奥さま(と小さな子供)がお待ちなのでは…?と思ったけれど、言い返したい気持ちをグッとこらえて「大丈夫ですよー!」と受け流していると、もうひとりのオジサンから「そうやっていつも優しいからって甘えて!夫が可哀想だと思わないのか!」と謎のお小言を言われ、更には頭を小突かれる…という非常に不快な事がありました。

 

この会話のどのあたりが夫に甘えているのか全く理解出来ないし、軽くとはいえ小突かれるだなんて、不快以外のなにものでもない…くそう!

 

 

私の勤める会社では、旧態依然のセクハラ・パワハラの温床のような社風を改善すべく、コンプライアンスセミナーなるものが熱心に開催されており、ちょうど私たちはセミナーでセクハラに関するセミナーを受けた直後だったこともあったので、ここは私が不快に感じたということを表明しておかねば!と思ったのですが、やはり飲み会の雰囲気に配慮し、軽い雰囲気で「こんなことしたら、セクハラになっちゃいますからね!」と伝えてみたのですが、話は私の希望通りには展開せずに、「女性っていうのは、本当にわがままだよなあ!今まで俺たちが女性だからって散々気を使ってやっている配慮は当たり前だと思って受けるくせに、都合が悪くなるとすぐにセクハラだと騒ぐんだからな!」などと言ってのけ、周囲はそれに同調するという残念な結果になってしまいました。

こんな人たちなので、まだまだコンプライアンスが浸透するのは先のことになりそうで、ああとても悔しい。

 

そもそも、セクハラやパワハラを正式に訴えるというのは、訴える側に大変な労力がかかる上に、その対象が同じ職場にいる事案がほとんどであるため、業務に差し支える可能性がとても高く、相当な場合を除き現時点では私のなかで「正式に訴える」という選択肢はないのですが、なんとか方法を考えて彼らに言動を改めてもらえるよう、引き続き頑張ろうと思います。

 

幸い、私の夫は真面目でフラットな人なのでコンプライアンスに反する言動で、会社から処分を受けるようなことはなさそうなので、毎日安心して眠れそうです。

 

自分の夫が、彼らのように会社でセクハラやパワハラにあたる言動をする可能性があると思ったら、うかうか夜も眠れないところだった……夫よ、私に安眠をありがとうございます。

 

 


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※私の実家の犬、大きなおしり

 

私の夫は犬にも優しいので、私の実家の犬ともとても仲良しです。これもまたひとつ、夫の良いところです。ありがとう。

 

 

 

私は仕事が嫌だったので辞めた

 

株式会社○○を退職しました!という記事をよく見かけます。

みんな、他にやりたいことを見つけての退職だったり、自分の才能を違うかたちで活かしたいと考えていたり、前向きで素晴らしいなと単純に感心しています。

そんな私はタイトルの通り、ただ単に会社が嫌だったので辞めました。その時はもう仕事内容も嫌だし、当時は人間関係も嫌だったし、仕事のことを考えすぎて眠れなかったりするし、そもそも体調も悪いし、仕事の全部が嫌だったので、辞めました。

 

辞めたあと何をしたいと言うことは無い状態。だからと言って無職でいるのも嫌だったけれど、それより何よりも仕事が嫌だったので辞めました。

 

体調が悪いことを全面に押し出してやめたこともあり、退職せずにしばらくお休みして治療したら?などと声をかけてもらったけれど、あのときはとにかく辞めたくて、仕事を辞めないと私は何もできないんだ!と思っていました。

 

 

辞めてからしばらくたって考えてみると、そんなに嫌でもなかったかもしれない気がしたり、もう少し頑張れたんじゃないかと思えてくることもありました。

 

体調が悪かったのが良くなってきたのも相まって、別に仕事を辞めなくてもよかったのでは…?と感じることも間々あったけれど(例えば、退職せずに休職してみるとかもありだったかもしれない)とにかく、当時の私には「仕事を辞める」という行動そのものが必要だったんだろうな、と今では退職したことを納得しています。

 

 

仕事をやめてみて思うのは、仕事を辞めたというと、皆「なぜ?」と聞くんだなあ、ということ。

 

何故って言われても「嫌だったので辞めました」としか言いようがなくて困った、特にお客さんになぜ辞めるのか聞かれて「嫌だから」とは職業柄言いにくかったこともあり、いちいち変な感じに「いやあ、あのちょっと体調が良くなくて…」と濁して言わなければならず、お客さんの半数くらいから「あれ?おめでた…?」と言われる始末。

 

もっと上手いこと誤魔化したら良いのにと今では自分でも思うけれど、当時は仕事が嫌でしょうがなくて、毎日体調も悪いしで、頭のなかでは常に「仕事が嫌」という言葉がぐるぐる回っていて、いい感じの答えなんて見つからなかったから、もうしょうがなかった。

 

 

今は本当に少しだけ環境を変えて、気分一新で働いているつもり!だけれど、ふと思い返してみると、またもやいまの職場でも私はぶつくさ文句ばっかりいっている気がしてきたので、明日からは気持ちを入れ換えて元気ハツラツ頑張ろうと思います。

 


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 ※どこで食べたのか思い出せないパンケーキ

 

 

 

腹のたつことや不条理だなと思うことはあるけれど、そんな中でもまずはとことん嫌になるまで頑張ってみて、心底嫌になったら、いつでも仕事なんてやめちゃえばいいんだ!と思えば、明日からの仕事もちょっと笑顔で頑張れる気がする。

 

メルカリの煩わしさが、むしろ楽しい

何年か前、まだアプリが駆け出しの頃メルカリをやっていました。しばらくは不用品などを売ったり買ったりを楽しんでいたのですが、アプリが本格的になり、販売手数料が10%取られることになったのをきっかけに、そろそろ売るものも底をつきていたので止めてしまいました。

あれから数年経ち、特に今回なにか理由があったわけでもないのですが、またメルカリを初めてみたところ、楽しい…!

 

料金を決めて商品を売りに出し、なんだかんだとやり取りがあった後に購入してもらい、包装をして郵便局から発送するというプロセスは、一見面倒くさい感じがするけれど、この煩わしさが私にとっては「物を売っている」という実感に繋がっているようで、とにかく今は楽しい。

 

上手いこと包装できたときや、タイミングよく購入してもらったお陰ですぐに発送出来た時、ちょっとした値引き交渉を受けて売買が成立したとき等は特に楽しい。

 

コメントのやり取りは基本的に煩わしく、

「こんにちは、購入したいのですがよろしいでしょうか?」

➡「コメントありがとうございます!是非ご購入宜しくお願いします」

とか、なんて無意味なやり取りなんだ!出品しているんだから、購入して良いに決まっているだろうよ…!と思うこともあるけれど、この煩わしさがメルカリの醍醐味だよね、と今はポジティブに捉えています。

 

 

私が主に販売しているのは過去に購入した啓発本で、次に多いのは何かしらのノベルティでもらったポーチ等の小物(未使用)です。

ゆうゆうメルカリ便(厚さ3センチまでは送料175円)で送りたいので、立体的なものや嵩張るものはまだ出品したことはなく、「汚れがあった」等のクレームをもらうことが怖いので、古着みたいな物は出品していないこともあり、購入者からの評価は上々で今のところ売買トラブルがないので、このあたりはノーストレス。

 

ほとんど営業に関わる啓発本が多いのですが、なかには恋愛啓発本も結構あって、例えばこういう本も出品しています。



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私は安直なので、本はほとんど直感やタイトルのみを見て購入してきたため、過去に購入した啓発本を見ると、そのときの私が何に悩んでいたのかというのがストレートに分かって自分では面白いけれど、この本を見たやわってぃ(夫)に「こういうの読んで頑張ってたんだね」と他の人から言われてみると、なんだかちょっと恥ずかしい気がしました…。

 

この他にも「絶対に断られないセールストーク」だとか、「○○億円売るセールスマンがやっている10の法則」みたいな本がまだまだたくさんあるので、引き続きメルカリの煩わしさを楽しもうと思います。

 

と、書いているそばから4冊も売れた、嬉しい…!

 

 

 

 

 

この世の定価のほとんどは、嘘

 

先日、とある偉い方とご接待でお食事をさせていただく機会がありました。多分、3時間くらいかけてゆーっくりお食事をしたのですが、一晩たったら話した内容をほとんど忘れてしまいました。

 

何を話したかわからないほど楽しかった!というわけでも、記憶に残らないほどつまらなかったというわけでもないので、理由はわからないけれど、すっかりさっぱり忘れてしまった。

 

少しだけ覚えている話のなかに「この世の定価のほとんどは、嘘」というものがあって、その偉い方は以前、定価20億円のものを2億円で購入したことがあり、それ以来定価なんて言い値だから信じていないらしい。いや、そもそも定価20億円ってすごいな!そして結果2億になったって、一体何買ったのよ!と驚いたので、なんとか覚えていたみたいだけれど、その他はみんな忘れてしまった。

 

接待のホスト側である私が覚えていないのだから、相手の方ももちろん覚えていないのだろうなあ…と思うと、接待ってやる意味あるのだろうかと、とても疑問。接待だからと奮発したけれど、料理もなんだか微妙だった、食後に得意気に「フロマージュ、どれにいたしますか」とか言ってワゴンでチーズを持ってきてくれたけれど、チーズの種類の説明が噛みすぎている上に声が小さくて、半ば身を乗り出して一生懸命聞いたけれど全然何を言っているのか分からなかったし。

何度も聞き直すのもおかしいかなと思って、適当に端から3つを頼んでみたけれど、意図せずかなり癖強めのチーズというサプライズ。

そもそも、私達はワインはもちろんアルコールを飲んでいない状態でのチーズ提供だったので、私はオレンジジュースと癖強めチーズ、偉い人もペリエとチーズという組み合わせ、いまいちに決まっていて残してしまったし…。

 

せっかく良いコースを頼んで、結構準備万端で臨んだ接待だったけれど、もうなにを話したかも忘れ、食事の記憶も最後の癖の強いチーズで上書き保存されてしまい残念な結果になったので、週末は気分を変えてやわってぃ(夫)と船でランチクルーズを楽しもうかと思います、ちょうど半額券も貰ったし!と今はわくわく。


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 ※銀座のスターバックスリザーブ、行ってみたかったから行けて嬉しい!ラテも豆の種類が選べ、選ぶ豆で値段が違うのだけれどペルーだとかグアテマラだとか結局味ではわからないくせに、この手の値段チョイスの場合はいつも真ん中の値段のものを選んでしまう、安直な自分が悔しい。

 

 

それにしても、定価のほとんどは嘘だと言われたばかりなのに、半額券をもらって喜んで予約してしまう私は結局、人の話をなんにも聞いていないのかな。

 

 

 

 

 

 

私は身軽なひと

 

もう年明けて一週間になりますが、明けましておめでとうございます。

 

ところで先日、同窓会がありました。

30歳を期に同窓会をしようではないか、と話があがったのは良いのですが、この同窓会を開催するにあたり、子供連れでの参加をOKとするか、というところで私達幹事はすこし悩みました。

私は自身に子供がいないだけでなく、特に同窓会の場で同級生の子供に会いたいという願望もないこともあり、そもそも子供は同窓生ではない為、子連れでの参加をOKしなくて良いのでは?と主張していたのですが「それじゃあ、身軽な人しか来れないね…」と友人(子供有り)に言われてしまい、どんより。

 

まあ最終的に、子供を連れてくる場合はご相談くださいね…!くらいの感じでいきましょう、ということで話は収まったので、大した事案ではないけれど、子連れの友人にとって私のような人は「身軽な人」と思われているんだなあ、という思いが残る一件でした。

 

 

なにはともあれ、幹事ともなれば失敗するわけにはいかないし、せっかく集まってくれる同窓生には「来てよかったなあ」と思って帰って欲しい。

 

私はどうしても職業柄、パーティーを開催するとなると「いかにスムーズに進行するか」ということが気になってしまう性分のため、予めその弊害になりうる要素を排除しておきたい…!

 

例えば、ドタキャン続出で会費が足りなくなる可能性もある、逆に思いの外集まってしまい料理足りないパターンも想定して準備をしなければいけないし、当日の流れに関しても、せっかくの同窓会なのに仲のいい人同士のみで固まってしまうのは避けたい、かといって無駄に全体交流を強制されて話したい人と話せないのも楽しくないだろうし…等々、陰ながら熟慮しているわけで、当日子供が大量に参加することとなりギャン泣きしたり駆け回ったりして、それをあやす感じに全体が流れてしまい、事前に準備した進行が行えない、なんていう自体はゆるせない…わなわな!と、予めの対処方法を検討しておくべきではあったのですが、結局このお子さま参加については大した対策を思いつかないまま当日を迎えたため、実は相当不安を抱えていたのですが、結果的にこれは私の杞憂に終わり、会はとても楽しいものになりました。

 

 

ああでもない、こうでもないと予め不安要素をいくつも洗い出してその度にウンウン対処について考え、事前に「このような場合はどう対処しましょうか」と皆に相談しておくのが普段の私の仕事なので、ついつい今回もそうして気を揉みながら当日を迎えたのですが「なるようになるさ!」と気楽に構えながらシンプルに楽しむのが、本来のパーティーの姿なのかもしれないなあ、と思える良い同窓会でした。

 

 

 なにはともあれ、半年ほど前からなかなか片付けない仕事のように私の頭の片隅にズンと陣取っていた同窓会が無事に終わり、とても気持ちは晴れやか!しかも同窓生達からは、お世辞か社交辞令かもしれないけれど「ありがとう、楽しかった」というようなメッセージを貰えて、私は大満足だ…!と清々しい気分。

友人らにブログの紹介をしていないので(秘密にもしていないけれど)おそらく見ている友人はほぼいないのでは、と思うけれどこの場を借りて、同窓会に参加してくれた同窓生には感謝を伝えたいです。皆各々忙がしい中、スケジュールを調整し、同窓会に参加してくれてありがとうございました…!

 

 

せっかく気分も晴れやかなのでスパにいって心身共にすっきりしてやろうではないか、とやわってぃ(夫)を引き連れ、いつものスパ施設に行ってきました。

すると受付で「今日で40回目なので、無料です」と言われて、これは最高のタイミングだわ!と思ったのですがそれと同時に、スパ施設に40回も通うとは私は相当「身軽な人」であると自覚し、先日身軽な人と言われ、「身軽だなんて失礼な!」と腹をたてていた自分を少し反省することになりました…。

 


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今年は小さなことに心当たり乱されない、穏やかな一年にしようと思います。今年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

蔓延るオジ業務について。

どんな仕事に対しても、まずは一旦文句を言わないと気がすまないオジサンというのは、一定数いると思う。もちろんそういうオバサンもいるし、文句ばっかりの若手もいるけれど、今日私が言及したいのはオジサンについてなので、片寄っているのは承知で続けます。

 

今まで私はそんな面倒くさいご意見番のようなオジサンに対して「え~、そんなこと言わないで、宜しくお願いしますよう!」と媚びへつらってみたり、予め断られないように、上手いことオジサンの機嫌の良さそうなときを見計らって仕事を振ったりと、巧みなオジサン使いを駆使して頑張る「オジ業務」に従事していたのですが、最近になってこのオジ業務は私の人生に必要ないのではないか、と思うようになりました。

 

そもそも私がオジサンを甘やかしているから、オジサンはこのままでいいんだ、と勘違いをしてしまい、私の行動がオジ業務を増大させる原因のひとつになっている可能性があり、これはオジサン自身のためにも私の精神衛生上もよくないので、これを機にオジ業務の担当を外れようと思います。

 

なので、今後は

「お前、最近顔丸くなったんじゃないか?」と言われても「わあ、それってセクハラですよう!」と優しく返事をしてあげることはありません。

仕事を振って「大体さあ、なんでその仕事やるの俺なんだよ…」と文句が始まっても「○○さんだから、お願いしてるんですよお!」とおだててあげることもありません。

「お前ちびだな」と言われても「今ちょうど成長期で背が伸びてる最中なんです!」なんていう下らない冗談も言いませんし、「今日もどうせ予定ないんだろ、飲みに連れてってやるよ」と上から目線で飲みに誘われても、ついていきません。

 

仕事中はオジサンの気分コントロールに時間を割くのではなく、仕事そのものとお客さんのことを考えてベストパフォーマンスをしたい。

 

しかし、こうなりたいああなりたいと決意表明をするのは簡単だけれど、実行するのはとても難しい。

最近も、ベイビーの成長記録とママ友の交流ばかり見せられるSNSに辟易として、もうSNSに惑わされるのはやめよう!と思ったそばから、私はケーキの写真を撮るときのオシボリの写り込みを気にしていたりする。


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オシボリを取り除いて再撮影したスタバのクリスマスケーキ、背景をぼかしたりしているのもちょっとフォークが写り込んでいるのも、自分のことながら目的不明だけれど、わざとやっている。

 

だからきっと明日からも私は、オジサンと真正面から向かい合うことが出来ないまま仕事をするのだと思う。きっとオジサンがはびこっている日本のどこかの職場には、私のようなオジ業務に従事している人が少なからずいるのではないだろうか、オジ業務に従事している人たちや元従事していたけれど卒業に成功した人たちと、いつか機会があったら情報交換をしてみたい。

すぐに実行はできないかもしれないけど私は「オジ業務」から解放されたいし、解放されよう、と思っているひとりである!ということは事実であるので、ここに書いておきました。

 

ひとりでも多くのオジ業務同業者の人たちや、オジサン本人へ私の思いが届きますように祈って明日からも仕事を頑張ります。

 

 

 

2018年を漢字一文字で表すと

年末になると街角インタビューで必ず行われる「今年一年を漢字で表すと?」という、あれ。

 

どういう流れだったか忘れてしまったけれど、先日我が家でもそんな話になりました。私のなかで、ぱっと思い付いたのが「楽」だったので「私の一年を漢字で表すと楽しい、の『楽』かなあ」と言うと、やわってぃ(夫)はすこし不満そうに「単純だねえ」と言っていました。

 

「楽」だなんて、自分でもつまらない答えだなあと思うけれど、改めて考えてみてもやっぱり「楽」がしっかり来るように思います。

 

仕事面では、以前より楽しく働けていて、プレッシャーもなくなって気持ち的にも楽に取り組めていると思う。やわってぃの転職に伴い夫婦ふたりで過ごす時間が増えたこともあり、夫婦生活は今まで以上に楽しい。友人関係は、友人とのつきあい方や付き合う友達が変わったこともあり、ひとときは寂しく思うこともあったけれど、なんというかすっきりと今では気持ちが楽になりました。

 


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2017年は、あることないことを言われて心を痛めたり、友人からのラインを一方的な言い分だと思って憤慨したり、SNSを見てもやもやしたりしたこともあったけれど、そういう面倒くさい気持ちは、今年一年かけてゆっくり自分のなかで消化出来た気がします。

 

今では、いつの間にか友人と自分の生活を比べてしまって意味もなく落ち込んだり、定期的に私たち仲良しだよね…!と確認し合わなければならないような気持ちからも解放されて、重たいものはみーんな20代に置いてけぼりにした、すっきりした30歳になれたような気がします。

 

2019年はどんな一年になるんだろうか、まだわからないけれど、きっときっと楽しいと思う。